シーア派イスラーム

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シーア派イスラーム

 シーア派、特にその最大多数派である十二イマーム派シーア派主義について、現代の時事問題、また背後にある教義や宗教行事などを歴史の事実に基づいて解説することを目的とした書。 

嶋本 隆光

中東における強大な勢力シーア派の思想を理解するためには、社会的、政治的事件にかかわる知識だけでは十分ではない。シーア派において決定的に重要な意味をもつのは、イマームと呼ばれるイスラーム共同体の指導者である。本書は、わが国ではこれまでほとんど研究されることのなかった指導者イマームを中心に、その生誕と歴史をたどりながら、現今のシーア派を取り巻く思想的状況を解明する。

用語や人名

スンナ派
ムハンマドの死後、正統カリフ時代(632-661年)を通じて共同体全体の総意であるイジュマーを法的判断の最終的根拠とさだめ、世俗的統治者は「必要悪」として承認したイスラーム多数派。
イジュマー
イスラームテンプレート:rb(共同体,ウンマ)の総意。実際的にはテンプレート:rb(宗教学者,ウラマー)らの意見の一致。
シーア派
ムハンマドの生前に発生していた、ムハンマドの血族こそ彼の霊的能力を継承するイスラームの指導者だと主張する少数派。この考えは、ムハンマドの「自分はただの人間だ。けして自分を神化してはならない」という意志に反する。また、偶像崇拝の禁止から、ムハンマドやアッラーの姿を描いてはならないとするイスラームにおいて、シーア派には歴代イマームの肖像画が多数残されている。
イマーム
ムハンマドの血族こそイスラームの正統なる継承者であり、特別な能力を備えているというシーア派の思想のもと、「個人への絶対帰依の原則」を象徴するカリスマ的指導者。文字的には「前に立つ人」で、スンナ派ではこの言葉は学者に対する尊称として使われる。
アリー
ムハンマドの従兄弟であり、ムハンマドの娘ファーティマの婿でもある第四代カリフ。
十二イマーム派
アリーを含む、12人のイマームの存在を認めるシーア派の一派。その歴史は迫害と殉教の歴史であり、歴代イマームの中で自然死を遂げた者はいないと言われる。中でも第三代イマーム、フサインの殉教は劇的であった。
フサイン
アリーとファーティマの間に生まれた二人の息子のうちの一人。ムハンマドの孫にあたる。カルバラーの戦いで殉教したフサインの悲劇はシーア派にとってはとくに劇的なものであった。
ウラマー
シーア派における宗教学者。信徒の相談相手や説教など行い、指導的立場にあるが、キリスト教でいうところの聖職者を意味しない。11代イマームのハサン・アスカリーには息子がいると信じられ、その息子は幼くして死んだが、じつは死んではおらず「テンプレート:rb(お隠れ,ガイバ)」になったにすぎず、やがてこの世の終わりにテンプレート:rb(再臨,ラジャ)してすべての信者を救済するという信仰が形成された。ハサン・アスカリー没後、12イマーム派にとって真の統治者は「隠れイマーム」のみであり、イマームの不在中に現実の宗教問題に対処するのがウラマーとされ、その権威は高まり、政治から独立した影響力を持つに至った。

マフディー到来

「隠れイマーム」が、再臨して人類を救済するという、その時を指す。マフディーとは改革者の意。シーア派は、マフディーの再臨についてはクルアーンにも規定されているとするが、アッバース朝からの迫害によって生まれたこの信仰は不信で多神教的であるとして、スンナ派から侮蔑される最大の原因の一つとなっている。ただし多くの論者によれば、マフディーに関してはクルアーンにも記述があるし、預言者の伝承においても確実な事実として記されているのだという。事実マフディー到来は、程度の差はあれスンナ派も容認している。ちなみにクルアーンやイマームの伝承を精査すると、マフディーの到来は、抑圧された者や蔑まれた人々にとっての恵みであり、神は悠久の昔から天の書物の中でこの約束をしていた、という解釈もあり、いろいろとややこしい。

イランとイスラーム

 イランがイスラーム化されたのは7世紀の末。それから14−15世紀に至るまではイラン人の大半はスンナ派だった。サファビー朝(1501−1722)によって12イマーム派が国教に制定されて以来、イランでは同派が国教の位置を占める。

 イランとイスラームとの結びつきとして、すでにブーヤ朝(932ー1062)の時代、アリーの息子フサインとイランのササーン王朝(226−642)の最後の王ヤズデギルド三世の娘が結婚し、二人の間に四代目イマームが生まれたという考えが存在していた。 

 この時代にはすでに預言者の家系の血とイラン王朝の血とが混じっていたのだという考えは、現在でもイラン人ムスリムの間で真実として幅広く信じられている。 

メモ

書誌情報

京都大学学術出版会 2007/04発行

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