イスラームの日常世界
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イスラームの日常世界
「この地球には、じつに多種多様な人々が、じつに多種多様な生き方をしている」と言う著者が、約30年間にわたる世界各地でのフィールドワークを通して巡り会ったムスリムの言動を中心に、イスラームの文化を紹介する。
- 著
- 片倉もとこ
イスラームは、いまや第三世界にとどまらず地球的規模に広がっている。その世界観が、幅広い世代にわたって、十億もの人びとの心をひきつけるのはなぜか。三十年以上、世界各地の実情を見てきた著者が、日々のイスラームを、断食、礼拝、巡礼など最も大切にされていることや、結婚・職業観などから語り、その知られざる姿を明らかにする。
用語や人名
- シャリーア
- イスラーム法のこと。「沙漠の中で水場にいたる道」の意で、日常生活を送る上でなにに従い、どの道を歩んで暮らせば悪魔の誘惑に打ち勝って天国の門に入ることができるかについて説いたもの。ムハンマドの死後、学者たちの懸命な議論によって作りあげられた。「クルアーン」が憲法ならば「シャーリーア」が諸法律。
- イジュティハード
- シャリーアの基本が成立するにいたるまでの、「神の意志をさがすための努力」
- イン・シャー・アッラー
- 「神の意志あらば」の意。イスラームでは「イエス・ノー」の代わりに使われる、非イスラームでは非常に評判の悪い返事。これですまされない重要な約束事には「契約」が用いられ、そうなるとひどく厳密になる。
- ハラーム
- 「宗教的に不浄」の意。シャリーアにて定められた禁止事項。豚肉を食べてはならない等。対義語として「ハラール」=禁止されていないもの。ともにムスリムの日常生活ではよく使われる言葉であり、「人工授精はハラームかハラールか」などと議論される。
- ムスタダアフ
- クルアーンの中で呼ばれている、「弱い状態に置かれている者、権利を剥奪されている者」。イスラームでは無条件で手を差し伸べることが義務とされ、差し伸べられた側は、それを一種の権利として受けとめる。
- イバーダード
- ムスリムが神に従っていることを具体的に示す五つの行。信仰告白(シャハーダ)・礼拝(サラート)・喜捨(ザカート)・断食(サウム)・巡礼(ハッジ)
- サラート(礼拝)
- イバーダードのひとつで、全世界のムスリムが「最も大切」だとする行。日の出前の「ファジル」、太陽が頭の真上にきてから、自分の影が背の高さの二倍になるまでの間に行えばいい「ズフル」、その後日没までに行う「アスル」(一番さぼることの多い祈り)、日没から夕焼け消えるまでの間に行う「マグリブ」、最後は「イシャー」で、夕方から夜にかけて寝床につく前に行う。ファジルからズフルまでには十時間ほどの間隔があるため、勤務中に礼拝時間が入ったとしても一回ですむ。女性は生理のときの礼拝が禁じられている。
- アザーン
- 祈りの呼びかけ。イスラームでは鐘をつかずに、ムアッズィンと呼ばれる美声の持ち主が「ハイヤーアッサラート(祈りましょう)」と、モスクで声を張り上げる。
- マハル
- 男から女に支払うよう定められている結納金、または離婚の時に支払うべきもの。イスラーム法の中心をなすといわれる家族法に定められ、結婚の契約の時に取り決め、契約書を交わすべきもの。離婚時のマハルは結納金よりはるかに多額で、これは子をはらむ女性にとっては離婚保険の役割を果たす、社会保障制度のはしりとも言える。
- ラーハ
- 日本語には訳しにくいが、ぼんやりする、瞑想する、くつろぐ、祈る、勉強する、旅をする、ごろんとするなどのもろもろのことが全て同じ価値を持つ、能動的な安息のための行い。この時間をたくさん持つことが人間らしい、いい生き方とされる。働かざる者食うべからずの価値概念はここにはない。
メモ
- 十字軍がやってきたとき、イスラーム側では、ヨーロッパ人がなにをしにきたのかサッパリわからず、思い当たることといえばエルサレムに巡礼にきたのかもしれないということだった。しかし巡礼にくるのに、なぜ重いよろいを着て武装しているのかといぶかった──この時代のヨーロッパは暗い時代に沈んでおり、絢爛たるイスラーム世界はまぶしくも驚異であった。
- 宗教の一般的定義が「日常生活で経験することのできる世界を超えた存在に対する信念体系」であるなら、イスラームはこれにそぐわない。イスラームは、その信念体系の上に築きあげられる生活の全体、文化の総体を指す。
- イスラームとは「西のものでもない、東のものでもない。われわれ自身なのだ」とホメイニー師は人々に説いた。
- 近代西洋社会が「人間性強説」であるならイスラーム社会は「人間性弱説」という人間観のたとえとしてあげられている男女の恋愛や結婚についての社会的な視座が興味深い。
- ムスリムとして礼拝と断食ができるようになることは、大人に近づいたとみなされ、子どもたちはそれを誇りに思う。
- 人間の権力欲への挑戦こそイスラームの歴史と言える。権力への欲求が人間の持つ業であるなら、それに対する反作用が原理的に働くから、イスラーム社会は常に政情不安定となる。だがそれがむしろ正常な状態で、固定した権威秩序が人為的にできあがることの方が、よほど警戒すべき状態である。
- ムスリム社会、とくにアラビア半島諸国のムスリム社会では、「男の世界」と「女の世界」を分けることが原則となっているが、その間には段差がない。男女隔離がなされているので、女たちは男の目を気にせず自由に振る舞い、好奇心も旺盛だ。女性の社会進出に、西洋や日本における婦人解放運動のような、ことさらな運動を必要としない。
- 通読して気になったのが、本書にあげられているイスラーム社会の人々が、みな生活水準が高めの人々であろうと推測されること。同じ文化圏に存在するはずの下層部分が見えてこない。
「人間は本来、男も女もパスポートやビザなど必要ではないのです。もし所持するなら、このようなものがいいでしょう」とアラビア半島に住む女性が投書した新聞記事が評判になり、遠くカナダのムスリムにまで、切り抜きがまわされて拍手喝采となった。【[名前]アーダムの子、人間 [出身地]土 [住所]地球 [出発港]現世 [到着港]来世 [出発時間]未知 [所持するもの]1.二メートルの白い布(イフラーム) 2.よいおこない(善行) 3.よい子どもたち(子孫) 4.知識、学んだこと(イルム)】彼らが大事にしているものを、よく表しているからだろう。
- さまざまなグループが存在し、個人が常に複合的アイデンティティーを持っているのがムスリム社会とされるが、イスラームが偏狭なエスニシティーと化したり特定の民族主義にその主張をゆずったとき、社会はイスラーム性を失い、単一ムレ社会となり活力を失う。
- ラマダーンの断食は、やはりつらいものではあるが、肉体労働は無理でも精神労働はかなりできるし、普段とは違ったアイディアが浮かんだりもする。肉体労働を軽視し、頭脳労働を重視するアラブの価値観は、イスラームの断食とも関連しているのかもしれない。
書誌情報
岩波新書 1991年1月発行